川合宣之(1899/3/20生まれ)が、富山県西礪波郡福光町新町で個人創業。
創業当時は従業員3名で原料二斗(約36kg相当分)を加工し、大八車を引いて売り歩いた。
川合宣之の長男、川合昭至が誕生(後に2代目社長へ就任)
福光町新町57番地に自家工場が完成。原料は毎日1トンを確保でき、「手焼きあられ、にっぽんあられ」として、全国的に知れ渡るようになった。富山・金沢の菓子問屋から、東京・名古屋・大阪の菓子問屋経由で、北は⻘森から南は九州まで販売。その頃の納品書の端に“高くもなく 安くもないが 品がよく”と書かれ、この頃より品質第一を念頭にしていた。
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第二次世界大戦の終盤になると、原料であるもち米の入手が困難となり、戦地へ出征する従業員も多くなったため、自主的に操業を中止する。
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後に世界的な板画家となる棟方志功氏と川合宣之が盛んに交流。
棟方志功氏が戦時疎開のため福光に移住し、志功氏の創作活動を川合宣之が支援。
その他多くの著名文化人と趣味の俳句等を通じて交流し、地域文化の担い手の1人として芸術創作活動の発展に寄与。
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終戦を経て事業を再開。当時は配給制のため、天秤ばかりを持って福光近郊の農家へ原料米の買付けに廻った。
戦前よりのお客様から「日の出屋さん、以前の商売を始めるのなら私達は一生懸命応援するよ」との言葉に勇気づけられる。
福光町新町に直売所を開店。
株式会社日乃出屋製菓所として発足。
個人事業から法人へ組織変更し「株式会社日乃出屋製菓所」として資本金150万円で新たなスタートを切る。
当時は米菓以外に小豆や麦粉などの地元産物を使用して、饅頭(まんじゅう)、最中(もなか)、羊羹(ようかん)、落雁(らくがん)、どら焼、カステラ等々の生和菓子や結婚式の引き出物用餡菓子等も製造していた。
饅頭は毎日200個朝5時に仕込み、7時から販売。出勤途中の人達に大人気で連日完売。
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東京都天沼に東京営業所を開設し、東京進出の第一歩を踏み出す。
「本物の味なら全国で通用するはず。それを証明するために花の東京で勝負したい」という川合宣之の強い意志があった。川合昭至が月の半分以上を東京で滞在し営業開拓をすすめる。
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福光町新町50番地に新工場(木造三階建て)を建設し、30名程の社員が工場内に住み込みで日夜作業をする。
戦後の農地復興により糯米の収穫量が著しく増加。十分な原料米を確保することができるようになり、生産量が日々20俵に増加。
「堂さまあられ」が発売開始(現在も発売中の当社最長ロングセラー商品)
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東京都杉並区西荻窪駅前に東京営業所を移転し、併設した直営店を開店。
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堂さま、サラダかきもちが大ヒット。富山の工場から毎日8tトラックに商品を積み込んで東京営業所へ送り込む。手焼釜の燃料を炭からプロパンガスに切り替える。
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福光町で福光駅前店を開店。
富山市金泉寺に工場用地を取得し、富山金泉寺工場の建設を開始。
もち米を原料とした「あられ・かきもち」の製造から、東京市場のさらなる深耕を目指し、新たにうるち米を原料とした「せんべい」の製造へも参入。
富山市金泉寺に富山金泉寺工場完成、第1期うるちせんべい製造工場竣工。
富山金泉寺工場内に第2期もちあられ製造工場竣工。
大阪市中央区松屋町に大阪営業所を開設 (翌年大阪市東成区深江橋へ移転)
東京都三鷹市牟礼に東京営業所を移転し社屋と単身者向け社員寮を新築。
福光町遊部40に柿山本店工場(後に福光本店工場に改称)の用地を取得。新町工場が商店街と住宅地にあるため騒音等の問題があったのと、工場が手狭となったため福光町の郊外へ移転。
富山金泉寺工場に単身者向け社員寮が完成。
名古屋市西区に名古屋営業所を開設。
柿山本店工場ならびに敷地内に新本社が完成し、稼働を開始。
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福光町新町に「かきやま総本舗」開店。
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第17回全国菓子大博覧会名誉総裁賞受賞(商品名 小矢部)
金沢ビル店を開店
名古屋営業所 新社屋完成。
金沢片町店を開店。
金沢武蔵店を開店。
高岡地下店を開店。
柿山本店工場内に託児所を設ける。
名古屋栄地下店を開店。
大阪営業所新社屋完成。
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自社独自の生産ラインの開発を目指してFAセンターを柿山本店工場内に設置。
大阪で開催された日本万国博覧会に出店。会場内の2店舗へ、総勢25名の社員を派遣。
工場はフル生産で毎日2tトラックに商品を満載して配送し、大盛況のうちに6カ月の会期を終える。
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名古屋中日ビル店を開店。
大阪に阪急三番街店開店。
福光町田中に新工場建設用地を取得(福光本社工場)。
日の出屋製菓産業株式会社へ社名を変更。
川合昭至が新たに代表取締役社長に就任。川合宣之は会長に就任。
東京の直営店販売部門を分社化し、柿山銘菓(株)を東京都杉並区に設立。
慶長、慶鳳が大ヒット。
札幌市に北海道営業所を開設。
福光町田中に福光本社工場完成、稼動開始。
川合宣之が73歳で逝去。
のり巻き製造部門を分社化し、福満製菓(株)を福光町西町に設立。
金沢地区の店舗販売部門を分社化し、(株)多聞堂を金沢市野町に設立。
流通部門商品のブランドをならび駒ブランドに統一しスタート。
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福光本社工場内に製餅ライン完成、稼動開始。
福光本社工場内に商品管理センター完成、稼働開始。
福光本社工場内の原料米保管低温倉庫・自社精米工場が完成、稼動開始。
柿山銘菓工場を(株)赤坂柿山へ移譲。
ささら屋本店(通信販売部門) 設立。
ささら屋福光本店オープン。
富山柿山ブランドスタート。(柿山プロジェクト始動)
東京都三鷹市の東京営業所を新築へ建て替え、隣接地にささら屋東京三鷹店オープン。
大阪営業所に売店を併設。
新本社完成(福光町遊部から田中へ移転)。
しろえび紀行発売開始。
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川合声一が代表取締役社⻑に就任。川合昭至は会長に就任。
富山で開催された2000年国体でしろえび紀行が大ヒット。
ささら屋東京八王子店オープン。
金泉寺工場直売所新築。
福光町田中に本社第二工場完成、稼働開始。
ささら屋大阪住吉店オープン。
福満製菓(株)を合併。
ささら屋福光本店敷地内に手焼き体験工房を併設。
ささら屋金沢高尾台店オープン。
ささら屋東京麹町店オープン。
ささら屋名古屋名駅店オープン。
立山工場ならびに、ささら屋立山本店がオープン。
せんべい商品の製造拠点であった富山市の金泉寺工場を閉鎖し立山町へ移転。
工場見学や手焼き体験ができ、喫茶・飲食スペースを備え、展望デッキからは雄大な立山連峰が一望できる絶好のロケーションに完成した、複合型の大型施設。
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大阪営業所を大阪市住吉区に移転。
観光庁主催「魅力ある日本のおみやげコンテスト2009」で、当社のしろえびせんべいが台湾賞を受賞。
ささら屋富山金泉寺店オープン(金泉寺工場跡地)
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自社農場「結いふぁーむ」で農事業スタート。
企業による農業参入条件が緩和された2009年の改正農地法施行後、富山県内での農業参入第1号となる。
ささら屋金沢高柳店オープン。
ささら屋東京八王子店リニューアルオープン。
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原料米の富山県産米100%使用を達成。
富山県地産地消優良活動賞を受賞し、県知事より表彰を受ける。
ささら屋東京九段店オープン。
ささら屋名古屋栄店増床リニューアルオープン。
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「にっぽんのお菓子 日の出屋製菓」の新コーポレートロゴを制定。
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川合雅之が代表取締役社⻑に就任。
ささら屋とやマルシェ店をJR富山駅にオープン。
北陸新幹線長野金沢間開業記念商品として、かがやきしろえび小判を発売し大ヒット。
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しろえびせんべいの日認定。
(一般社団法人日本記念日協会により毎年4月10日を認定)
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ささら屋高岡店オープン。
開業10周年を記念し立山工場をしろえびせんべいファクトリーへ改称し、ささら屋立山本店を大規模リニューアル。
川合声一が代表取締役社会長兼社長に、川合洋平が代表取締役専務に就任。
東京営業所を東京都中央区京橋へ移転。
本社工場第2工場内に製餅ラインを増設
福光地区の二工場を統合し、商品センターを旧本店工場へ移転。
新ブランド「SHIRO SASARAYA」スタート。
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おこめぢゃや富山マルート店オープン(だんご、おこわの専門店)
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ささら屋富山婦中店オープン。
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ささら屋大阪住吉店リニューアル(おこめぢゃやオープン)
ささら屋羽田エアポートガーデン店オープン
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ささら屋福光本店リニューアル(おこめぢゃやオープン)
創業100周年
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